Newsletter 02から


 ## ローエル協会の大会をいつ開くか
 昨年(1997年)十一月に日本ローエル協会準備委員会を発足させ、幸いに多くの方々の賛同を得て、計画が進みはじめました。
 パーシバル・ローエルの広い活動に応じて、天文関係者はもちろんのこと、ニューイングランド文化やラフカディオ・ハーンの翻訳研究、日米の文化関係史などに興味を持つ方々からの連絡もあって、こうした集まりと連絡の会の大切さが感じられます。
 この協会は相互の情報交換のための有志の集まりですが、みなさんから「いつ大会があるのか?」と聞かれます。事務局としては、ローエル研究家の佐藤利男さんの示唆に従って、次のような機会に大会を開いて、大いに相互交流をする場をつくりたいと考えます。現在、D・シュトラウス教授の「ローエル研究書」執筆が進んでいます。同時進行で、その日本語翻訳作業が行われていると聞きますので、教授の本の翻訳書が出版されたときに、大会を開きたいと思います。
 場所は東京の学士会館ではどうでしょう。

 ## 現代の惑星研究者のローエル評価の一例
  # 火星運河の発見と終結
  # ローエルと「火星マニア」
  # ローエルは惑星科学に対して善よりも悪をなした?
     詳しくは、H・H・KIEFFER et al 編 「Mars」 序文
          Univ. of Arizona Press 1992  

 ## ボストンから明治日本に来た4人の男
     − モース、ローエル、ビゲロー、フェノロサ
                        横尾広光 1998年1月1日記  # 「極東の魂」の論争相手
    ローエルの主著「極東の魂」でのあまりにも明快な合理主義と進歩の賛美は日本人論として印象的である。なぜこのような強い論調がとられたかについて、ローエルがはっきりと論争相手を意識して書いたからだろう。その歴史的状況を振り返ってみよう。

  # 進歩の果てに何がある
    ローエルの育った当時のボストン、ニューイングランドは南北戦争後の「ヤンキー」の高度成長、大繁栄の時代であった。進歩はすばらしい、すべてこの調子で世の中がよくなっていくという思想が盛んであった。しかし、この風潮は、それに対して疑いをもつ人もつくりだす。進歩、進歩で進んでいって、その果てに何があるのだろう。こうした懐疑的な状況のところに、E・S・モース(1838−1925)が、神秘の国・日本から帰国してきて、ボストンのローエル学院で1881−1882年にかけて十二回の日本についての連続講義を行った。

  # 「ねはん」を追究したビゲロー
    この講演を聞いて日本に来たのが、William Sturges Bigelow (1850−1926)などである。ビケローは反進歩の「涅槃(Nirverma)」にひかれていたのである。同じくErnst Francisco Fenollosa(1853−1908)も日本にやってきた。フェノロサの法隆寺の秘仏の公開は有名である。ビゲロートフェノロサは、滋賀県園城寺法明院で学んで仏教信徒となった。ビゲローが亡くなったとき、その葬礼をめぐってもめたりもしている。進歩に疲れたビゲローとフェノロサは「ねはん」を夢見たのであろう。

 # 「ねはん」への反発
    ビゲローの後を追って来日したローエルは「ねはん」の思想に強く反発したのである。その論争が「極東の魂」を生んだ。三井寺に残る古い望遠鏡がビゲローにつながる。つまりローエルにつながるものとして調べられている。期待したい。        

 ## お知らせ ##
   事務局宛カンパ  8万4000円をいただきました
 カンパしていただいた方々は以下の通りです。ありがとうございました。
 趙慶哲、平岡厚、大西道一、小松崎恭三郎、守屋幸栄、寿岳潤、長谷川一郎、木村精二、坂下たまき、菊岡秀多、小森長生、吉田省子、大島泰郎、大西直樹、佐藤修二、泉公司、出口修至。
 匿名希望の人からも2500円。


 ## 能登 穴水の旅 ローエルまんじゅう ##
   ローエルまんじゅうを事務局にいただきました。
   発売元 石川県鳳至郡穴水町字川島
       0768−52−0203