事務局長から


● 日本ローエル協会発足に向けて
          横尾広光 杏林大学講師

 いま日本のロケット「のぞみ」が火星を目指して飛行しているように、火星直接探査の時代になったと言っても、タコの姿をした火星人の夢はわれわれの心の内に住みついている。
 それほど影響力のあった火星人存在説を提唱したアメリカ人天文学者、パーシバル・ローエルは実は明治時代の日本に住んでいた一流のジャパノロジスト(日本文化研究家)だった。ローエルは日本人研究から火星人研究に転向した学者であった。

 火星人の存在提唱
 彼の火星人説はアリゾナ州フラグスタッフ市につくった私立天文台での望遠鏡観測から「科学的・合理的」に導き出されたものである。日本人論は明治十六年から二十六年まで、つまり二十八歳から三十八歳までの十年間を費やして、日本に住み、旅行して編み出したものである。日本人論の著作四冊があり、その文名は欧米で高かった。
 火星人説は今ではウソだったが、彼の日本人論は今でも刺激的で、まじめに検討すべき大テーマである。最近、その再評価が行われようとしている。
 彼の処女作「朝鮮−静かな朝の国」は明治十九年にアメリカで出版され、開国したばかりの朝鮮を写真入り大判美麗本で世界に紹介した。天文学者、趙慶哲博士はその韓国語抄訳本を出版している。ローエルの主著「極東の魂」の邦訳出版は原著刊行から八十八年後の昭和五十一年である。
 「日本人は逆に話し、逆に書く」「集団行動にすぐれている」「没個性である」などと西洋からの日本理解のスタンダードになったローエル説も、肝心の日本では長く検討されて来なかったことに驚かされる。外国人による日本文学研究の権威、ドナルド・キーン教授が「私の生涯の仕事はローエル(の説)を訂正することでした」と新聞記者に話しているほどなのである。
 金沢市に在住のローエル研究家、宮崎正明氏が明治二十二年五月の旅行記「能登−人に知られぬ日本の辺境」の名訳をし、それがNHKでの朗読などで広く知れて、日本でのローエル再発見の動きを加速した。ローエルの旅行目的になった能登の石川県穴水町の坂下たまき氏を中心にローエル祭が同町で毎年開かれ、同町からローエル天文台のあるフラグスタッフ市に親善使節団が訪れるほどになった。
 火星研究など天文学上の業績によって日本の天文愛好家からローエル研究が始まったが、今では船客名簿や宿帳を調べて彼の滞在中の行動を追う実証的な調査など、日本文化論や英文学など文科系諸学からの研究が進んでいる。

 散発的だった研究
 しかし残念ながら、ローエル本人の興味が理科・文科の全体にまたがって広いので、個々の研究者の間の連絡と情報交換が乏しくて、その成果は散発的なままである。その現状を打破しようとして日本ローエル協会準備会が活動し始めている。事務局は杏林大学保健学部内にあり、すでに「ニュースレター」四号を出し、百人近くの関係者と連絡し合っている。アメリカ旅行でローエル天文台を見学して彼の日本との関係を初めて知った人の参加などもある。
 ローエルの日本研究について、米ミシガン州カラマズー大の歴史学教授、D・シュトラウス教授が著書を準備中である。教授からの手紙によれば、ローエルの神道研究書「オカルト・ジャパン」を中心にまとめるという。同書は事務局のわれわれも邦訳中などで興味深い。
 教授は何回も訪日して、日本側のローエル調査も吸収しているから、来年刊行予定の著作で世界に広く紹介されるのはうれしい。教授のお手並みを拝見する意味でも、発行の機会(同時邦訳刊行の予定と聞く)に日本側の研究の総まとめをするのも一案である。それが日本ローエル協会の正式発足になるかもしれないと計画している。

                 ( 一九九八年十一月三十日付「北國新聞」より )