## ローエルの見た穴水、世界に発信 1999年7月
穴水町が外国人向け写真集「ANAMIZU」出版
写真集には東京在住の建築家、坂東通世氏の紹介で、米ニュメキシコ州に拠点をおく女性カメラマン、パトリシア・A・ポラード氏と金沢美大非常勤講師の小杉和弘氏が撮影したものが収録されている。会員でローエル研究家の宮崎正明氏(金沢市)が英文の序文を寄せている。
一冊5000円で石川県穴水町役場で販売している。
## 米での「能登写真展」を観て
作家 飯沼信子
ローエルの「穴水」今もあせず
日本人の資質再発見を
カリフォルニア州パサデナ市(ロサンゼルス市の東へ十五?)のパシフィック・アジア美術館で石川県穴水町出身のフォトジャーナリスト有田明子さんの個展が開かれた。
オープニング・レセプションは六月二十六日午後四時、中庭には飲み物のテーブルを囲みながら大勢の人達が談笑して有田さんの登場を待ち構えている。一〇〇度(セ氏三七度)を越える暑さであったが幸いに広場の周りには木立があり、池には錦鯉が美しい色彩の姿態を泳がせて会場に涼を感じさせた。
定刻に有田さんがマイクの前に立つと友人達が拍手で応援し、真っ黒なTシャツに真っ黒のスラックス、黒のブーツ姿はボーイッシュでなかなかと良い。スピーチもさすがにアメリカの大学を卒業しただけあって解りやすい英語だ。会場にはプロのフォトグラファーや教育関係の人が多く、久しぶりに再会した有田さんを抱きしめたり、握手したりで暖かいパーティーである。
会場に移ると第一に目に入ったのは、輪島の名舟神社の鳥居と小舟に神輿を乗せた風景だ。海は凪てきらきらと輝いている。参観者は「シントー、シュラインだ」とつぶやいてじっと見つめていた。「シントー」は神道を指し、アメリカに浸透している。ロサンゼルスには金光教や天理教の教会があり、日系社会の行事には神主のお祓いから始まることになっている。
アメリカ人も日本の文化の一端として奇異の目を通り越して日本を受け入れている。ロサンゼルス市長も鍬の式や会場のオープニングにも出席しているから敬虔に頭を下げている映像がテレビで何回も見られてきた。能登の風景を見てハイテク・ジャパンのイメージを完全にくつがえされたような感動が見る人達の表情にあらわれている。一人の婦人は足が悪いのだろうか、立って見ることが出来ないのか、携帯用の腰掛けを広げて写真の前に座り、ゆっくりと見ている。見終わると次の写真の前に移動していく。三本足とキャンバスの腰掛けは軽くて持ち運びに良いと言って笑っていた。
私のすぐ後ろに立って見ていた女性は、「日本にはまだこんな所があるのか。私の国のいなかと同じようだ」と言ってじっと見ている。ベトナムからアメリカへ移住した二十歳くらいの人だった。水田の光景や虫追いの農婦の姿はまさに百年前の百科事典に出ているそのままのものである。
伝統は儀式化されなければ持ち堪えられないのだろう。地方の祭りにしても神輿をかつぐ金髪、茶髪の青年達も伝統をかついでいるのだ。
能登・穴水出身の有田さんと話をしている時、ふとパーシヴァル・ローエルというアメリカ人が能登へ行く途中、穴水の町で折り返して東京に戻らなければならなかった事を思い出した。東京から信州を横切り日本海沿いに能登半島に入るのだが、鉄道は能登までは通じていないのだ。馬に乗り籠に乗りついでようやく穴水の村に着くのだが、ローエルの望んでいた能登の奥にある輪島に行き着くことが出来なかった。それはローエルが途中で病気になったのではなく、日本政府の決めた外国人旅行制限という壁に突き当たったのだ。
ローエルは穴水の村をしっかりととらえて帰った。写真を撮り、穴水の風習を知り、それを文章に残した。それは今からちょうど百年前の一八八九年五月のことである。
ローエルの写した穴水と有田さんが写した穴水が私の目の前に交錯した。何にも変わっていないのだ。一九九九年の穴水はじっと静かにローエルの見た穴水の姿と同じに静かだった。ギャラリーの中の空気も又ゆったりとしたものであった。あらゆるものが急いで変化していく中で、タイムカプセルを開けたような穴水の町に、天文学者であり植物学者であり日本の神道の研究家だったローエルは、日本人の持つ気質をいち早く見つけ出したのだ。
ジャパノロジストとしてのローエルの業績とともに、日本人が日本人の本質をもう一度目覚めさせなければならない。外国人に指摘されるのではなく、日本人が日本人たる資質を再発見することが肝要だ。有田さんの写真展の意義をアメリカの一角で感じた私であった。(いいぬま・のぶこ=作家、米・ロサンゼルス在住)。平成11年9月7日付「北國新聞」より。