アルファベット漢字の創案−西夏文字構成法から
篆刻家 北室南苑(金沢市在住)
今日、世界で使われている文字はおおむね五十余種といわれている。その源流は、ナイル河流域のエジプト文字、メソポタミア地域の楔形文字、黄河流域の漢字である。これらのうちエジプト文字や楔形文字の起源は、紀元前三千五百年、漢字は少し遅れて紀元前千五百年頃とされている。
世界の文字の三発達段階
世界の文字の発達段階は、大体三期に分けられている。第一期は、絵や図象を簡略化した象形文字や指事文字がこれに当たる。第二期は表意時代で既成の文字を組み合わせて一つの新しい意味を表わす複合文字とした。会意文字がこれに当たる。第三期は表音時代で、日本のかなや韓国のハングル、欧米のアルファベットがそれである。エジプトで生まれた絵文字がフェニキア文字、古代ギリシャ文字を経て、アルファベット文字に到達した。つまり、表意文字が表音文字に変わったのである。
黄河流域で誕生した表意文字の漢字は、三千五百年の間、大きく形が変わることなく、表意を保ちながら、その文字を芸術的に表現する分野にまで領域を広げて発達して、今もなお生き続けている。
複雑な西夏文字
漢字文化圏に包括された地域において漢字を書きながら、一方では独自の文字を使おうとする動きが始まったのは七世紀になってからである。まず、東アジアの西部でチベット人がチベット文字を、突厥汗国が突厥文字を考案した。八世紀末には漢字の草書を元にして日本において表音文字の仮名文字が誕生した。十世紀の遼の契丹文字、十一世紀の西夏王国の西夏文字、十二世紀の金の女真文字である。これらの文字は国家の独立を誇示したものであり、漢民族に対する対抗意識でもあった。
この中で最も複雑な形態の文字が西夏文字である。西夏文字は、基本的には西夏人の独創なのであるが、漢字の偏、旁、冠などを組み合わせる方法が漢字に似ているということと、同じ表意文字であるという点において、最も漢字に近い印象を与える。西夏文字には、篆、隷、楷、行、草書という書体も漢字と同様に存在する。それ故に文字を芸術的に表現し、鑑賞するという方向にも発展させていた。当時著名な書家たちもいたと思われる。西夏文字の偏、旁、冠などの形は実に奇妙で、ある時よくよくながめると、日本のカタカナやアルファベットを寄せ集めて再構築したかのように見えてきた。そこで、閃いたのが、表音文字のアルファベットを寄せ合わせて表意文字のような印象の文字ができるのではないかということであった。
近年、地球は狭くなり、いろいろな国の人達がいろいろな国を訪問する。漢字文化圏の日本にやってくる欧米人の中で、自分名前を漢字を当て字にして日本名を考案したり、それを元に印鑑や篆刻を持ちたいと希望している人も増えてきた。その世話をしていたことも閃きに影響したのだろう。
アルファベットで表意文字=西夏文化の発想
創案の結果、どんな固有名詞であれ西文字構成法を応用すれば、アルファベットで表意文字をつくることができる。さらに筆を使って書けば書体の変化や篆刻まで自在にできるのである。
このホームページの先頭にあるジャパノロジストのパーシバル・ローエル(Percival Lowell)のロゴマークは、このようなコンセプトでできあがったものである。名前のアルファベットつづりを、西夏文字流に構成して表意文字の漢字に「翻訳」したものである。こうしてできた表意文字を私は
アルファベット漢字
と名付けている。アルファベットを使った、いわば現代の西夏文字といってもいいかもしれない。
西夏文字の芸術性、現代に
漢字を元に、それを複雑化したものが西夏文字、これとは逆に単純化した文字が日本の仮名であり、互いにつながりを感じている。アルファベット漢字により、西夏文字の芸術的な美しさを現代の日本によみがえらせ、欧米をはじめ世界に広めたいというのが、私の願いである。最初にローエル氏を選んだのは、ローエル氏が百年以上も前の維新期にいち早く漢字文化圏に深い関心を寄せた近代欧米人の一人であったからである。日本ローエル協会の会員の中から、ジャパノロジストとして東西の架け橋役を担ったローエルの全体像を解き明かす成果が多く出てくることを期待している。